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  • 大井駿

ブラームス: ピアノ三重奏曲第1番 作品8

最終更新: 2018年8月7日

言わずとも知れた名曲、ブラームスのピアノ三重奏曲第1番。

彼が20歳で書き始め、1年で完成させた若きブラームスの作品です。

かなりの自信作だったため、同年にジムロック社から出版されました。

しかしこの曲には2つのバージョンがあるのです。現在最も演奏されるのは改訂版、初版はほぼ全くと言っていいほど演奏されません…。ちなみに今回演奏するのも改訂版です。


  • ピアノ三重奏曲第1番 作品8・初版

この曲は1853年、シューマンと出会って間もなく、ちょうどブラームスがシューマンの作曲のレッスンを受け始めた頃に書かれました。完成したのは翌年ですが、お気付きの方もいるでしょう。翌年の1854年はシューマンが幽霊変奏曲を書き、ライン川から飛び降りた年です。そんな中書かれたこの曲は、ロ長調で始まり、ロ短調で悲劇的な結末を迎えてそのまま終わる、というかなり風変わりな特徴を持っています。

初版の演奏時間は40分超、とかなりの大規模で書かれており、若いブラームスの気合すら感じられます。

第1楽章には、ブラームスが大好きなあの運命のリズム(ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」冒頭のリズム)も登場します。


この初版のピアノ三重奏曲は1855年、ニューヨークにて初演されます。

(1855年…そう、ブラームスが交響曲第1番を書き始めた年です!)

船に乗るのが嫌いだったブラームスは当然アメリカなんぞに赴くわけがなく、現地の腕の立つ演奏家によって演奏されました。メンバーの中にはシカゴ交響楽団創設者のセオドア・トーマス、ニューヨークフィルの常任指揮者となったカール・バーグマンもいました。

…とまぁ、初版についてはこのくらいでいいでしょう…




  • ピアノ三重奏曲第1番 作品8・改訂版(決定稿)

初版ブラームスは全部で3つのピアノ三重奏曲を書きました。

最後の第3番 作品101 は1886年にスイスのトゥーン湖畔にて書かれました。

その5年後、何を思い立ったのか、弱冠二十歳で書いた自分の若き作品を掘り起こし、改定作業に入ったのです。それがこの曲です。

まず、彼が行ったのは「無駄!」と感じた部分をかたっぱしから削除、「微妙!」と感じたメロディーも全て変えていきました。


譜例、左が初版、右が改訂版ですが、ヴァイオリンのオブリガート(メロディーっぽい伴奏)も不必要と感じたのか、改訂版では消されてます。


還暦近いブラームスは40年前の作品の改訂後、1890年1月10日*にブダペストにて親友たちと初演しました。(ヴァイオリンはイェネー・フバイ、チェロはダヴィッド・ポッパー)

*"1891年版"というのは出版された年です。


その後ウィーンでも再演され、好評を博したそうです。(1890年2月22日土曜日、7時半開演)

同じコンサートでは、ハイドンの弦楽四重奏曲、メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲も演奏されています。良いプログラムですね…!


シューマンへの想い、そして交響曲に負けない規模と魅力を持ったピアノ三重奏曲第1番。卑屈なブラームスも改訂後はさぞかし満足したことでしょう…!


©︎2018 Shun Oi

© 2018 by Shun Oi

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