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  • 大井駿

ブラームス: 交響曲第1番 ハ短調 作品68 (連弾版)

最終更新: 2018年8月7日

僕は絶対に交響曲なんて書かない!いつも後ろに巨人(ベートーヴェン)の足音が聞こえている…それが我々のような人間にとってどんなに勇気が必要なことか。君には解らないだろう!

原文: Ich werde nie eine Symphonie komponieren! Du hast keinen Begriff davon, wie es unsereinem zu Mute ist, wenn er immer so einen Riesen (Beethoven) hinter sich marschieren hört.

出典: Max Kalbeck: Johannes Brahms. 1. Band, 4. Auflage, Berlin: Deutsche Brahms-Gesellschaft, 1921, S. 165


先日の記事で少し触れましたが、ブラームスは交響曲を書きたくても満足いくように書けない葛藤がありました。

そうして彼が書いた一番最初の交響曲第1番 作品68 には、21年間の歳月を費やしました。

この記事では、その交響曲第1番 作品68 とその連弾版について書きます。



  • ブラームスと交響曲第1番

ブラームスが「交響曲を書きたい」という動機を持つきっかけとなったのは、自分の先生であるロベルト・シューマンの劇音楽「マンフレッド」作品115 の序曲を聞いた22歳(1855年)まで遡ります。

この頃まだオーケストラ作品を書いていなかったブラームスは「自分も書きたい」と思い立ちます。もっとも、生徒がこんな志を持っていた頃、当の作曲者本人のシューマンは重い統合失調症によりボンの精神病院に入っていましたが…


結局ブラームスはそれから長年筆を進めては納得いかず、また筆を取るもそれまでの過程は全てゴミ箱行き…という具合で、全く捗ることはありませんでした。それでもたまに自分の気に入った部分があると、他の作品へ転用したそうです。

彼が交響曲を書くことを思い立ってから21年、1876年11月4日。

南西ドイツ、当時の領邦バーデンの首都だったカールスルーエでとうとう初演されます。

こちらがそのコンサートのプログラムです。


オーケストラはカールスルーエ宮廷楽団、指揮者はフェリックス・オットー・デッソフでした。作曲者本人ではなかったんですね…

ブラームスは最後まで粘ったのか、この曲の初演のためのリハーサルが始まる直前まで書き直していたそうです。

カールスルーエでの初演後は

11月15日 ミュンヘン

12月17日 ウィーン

1月18日 ライプツィヒ

1月23日 ブレスラウ

で再演されます。


次のプログラムは、ウィーンで再演されたときのものです。このときブラームスはウィーンに引っ越して10年目でした。

場所はウィーン楽友協会、指揮棒を取ったのはブラームス本人(!)でした。


ちなみにブラームスはこの曲が初演される前年1875年までウィーン楽友協会の会長を務めていましたが、それは会長になってから3年目、まだ契約が切れる前だったそうです。

なぜでしょうか。

それは、ブラームスが担当するコンサートの選曲は全部ブラームス自身が行ったのでが、その選曲があまりにも地味すぎて全くウケがよくなかったので解雇されてしまったのです。自身が最も崇高と考えていたベートーヴェンの交響曲は無論一曲も演奏されませんでした…


そして3つ目のプログラム、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスでのものです。

この時に演奏されたその他の曲目もなかなか面白いですよ。

ベートーヴェン: 序曲「コリオラン」

ブラームス: リート3曲

シューマン: チェロ協奏曲

ブラームス: 交響曲第1番

ブラームス: リート3曲

ブラームス: ハイドンの主題による変奏曲

この時のピアノと指揮は全てブラームスによって行われました。


出典: Brahms Institut, Degitales Archiv


このように、この曲は各地で暖かく受け入れられました。


左の写真はブラームスが交響曲を書き始めようと思いたった1855年(22歳)の頃の写真。

かなりイケメンですね。ただ身長が低かったそうで(165cm程度)、これを誤魔化そうと太ろうとしていましたが、痩せたままでコンプレックスに感じていたそうです。晩年はしっかり太るとは知りもせず…

そして右の写真は念願の交響曲第1番を初演した1876年(43歳)の写真。

少々太って顎の輪郭が曖昧になってますが、髪型は変わっていません。

…と、結局各地での初演は成功に終わり、細かい部分を(また!)校訂したのち、1877年10月に晴れてジムロック社から出版されます。この時に出版されたのはスコア譜、パート譜、そしてピアノ1台4手譜でした。




  • 交響曲第1番のピアノ1台4手連弾版

こちらが交響曲第1番 作品68 の自筆譜です。

当時オーケストラの作品を自宅でも楽しめるように、オーケストラ作品のピアノ連弾への編曲が流行していましたが、ブラームスはただ楽しむためにピアノ連弾の編曲を行っていません。まずブラームスはこの交響曲を書くに至って、ピアノ連弾版もほぼ並行して、もしくはオーケストラ版の初演や出版前に書いていました。

この自筆譜を見ても分かる通り、普通のオーケストラ作品のピアノ連弾譜には、それぞれのメロディーが原曲だとどの楽器が受け持つかが書いてありますが、この自筆譜には一切ありません(本当に重要な部分のみ書いてあることもあります)。このことからも、ピアノでの演奏が、オーケストラの響きに近づけるためのものではないことが分かります。


ただ交響曲第1番の場合、あまりにもオーケストラに割く時間が多過ぎたためか、ピアノ連弾版が楽譜におこされたのは初演後の1877年6月、ペルチャッハの別荘でのことでした。しかしほぼ構想が練られていたのか、たった2週間で終わらせてしまいます。

そして次の文章とともに出版社へすぐに送られました。ブラームスらしい、少し茶目っ気のある言葉です。


本日連弾譜を送ります、なかなかハッとする美人ですよ!もし指揮者たちがこの交響曲をオーケストラで演奏しなくても、その代わりにピアニストたちが素晴らしい曲だね、と言って弾いてくれるでしょう。このことへの彫刻師(自分のこと)としての喜びは、この曲(連弾版)がすでに芸術的傑作であるからでしょう。

原文: Das Kattermäng geht heute noch ab, es ist eine Pracht! Und wenn alle Kapellmeister dabei bleiben, dass die Symphonie nicht taugt, so werden die Vierhändigen sagen, sie sei schön - schon bei Ihrem Stecher fängt die Freude an, es ist auch ein kalligraphisches Meisterwerk.

("Das Kattermäng" とはブラームスの造語で、フランス語での4手(quatre-mains) という言葉を適当にドイツ語読みに当てはめて書いたもの。ふざけてよく使っていた。)



オーケストラの原曲だけではなく、連弾版への愛情もあったことが分かります。

そんなブラームス自身も、きっと自宅で友人と「ハッとする美人」を演奏して楽しんだに違いありませんね!


©︎2018 Shun Oi

© 2018 by Shun Oi

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