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  • 大井駿

ブラームスの憂愁 〜スイス・アルプスでの日々〜

  1886年5月、53歳のブラームスはスイス・アルプスの湖畔の街トゥーンにやってきました。彼の友人であるヴィードマンという詩人の勧めによって来たのです。トゥーン湖のほとりにあるこの小さな街は現在のスイスの首都ベルンから30kmほどの距離にあり、彼はこの街と景色をいたく気に入りました。現代ではベルンとトゥーンは急行に乗って18分で行き来できますが、当時既に鉄道が開通しており、30分で行くことができたそうです。ブラームスは湖畔の一軒家に下宿し、3年間に渡って暖かく気候の良い時期をここで過ごします。


  トゥーンを紹介したヴィードマンはベルンに住んでいたため、毎週末に彼の家を訪れ、平日は好きな時に散歩をしたり、作曲に勤しんでいました。ヴィードマンはアマチュアのチェリストでもあり、ブラームスが彼の家に行ってはコーヒー豆のモカ、ビールやワインを飲みながら、彼が現地で書いた新しい曲を一緒に弾いて楽しんでいました。同年夏、こうしたチェロを嗜む友人の影響あってか、ブラームスはこの地での第一作目のチェロソナタ第2番 作品99を完成させます。


ブラームスは気難しい性格で知られていますが、心を許した友人とはいつまででも一緒にいられる性格だったそうで、週末にヴィードマンの家へ訪れてもトゥーンへ帰らずにそのまま平日まで滞在し続けたこともあったそうです。結局トゥーンにあるアルプスの山々へハイキング、登山を共にすることが日常になりました。ユングフラウへ登る登山鉄道が通っている街インターラーケンが面しているのもこのトゥーン湖で、この辺りもブラームスはきっと歩いていたことでしょう。


こうした日々を送るブラームスには、実はもう一つ密かな楽しみがありました。彼が想いを寄せていた歌手ヘルミーネ・シュピースの存在です。ブラームスは彼女に、この素晴らしい景色の見える街に招待し、その感動を共有したいと考えていたのです。その想いからか同時期に多くの歌曲を書き、内容も非常に愛に満ち溢れたものになっています。そうして彼は第二作目であるヴァイオリンソナタ第2番 作品100を書き上げます。彼はこのソナタの中に歌曲の旋律を2つ引用しています。「すぐに来て」作品97-5と、「メロディーがそっと心に触れるようにして」作品105-1です。前者は第一楽章の第一主題に用いられており歌詞の内容は、”一人で美しい景色を見つつ、片想いの相手とこの感動を共有したいと想いを馳せる”というものです。後者は同楽章の第二主題で使われ、”メロディーのように捉えづらいものを言葉で表現しようとするとすぐに色褪せてしまうが、それが詩であれば、韻律の中に香りを感じることができる” という内容です。


そんな想いを抱きつつも、ブラームスはその素晴らしい景色や大自然をもっと堪能したいとの思いからニーセン山という標高2362mもある山に登頂するなど、田舎の生活を存分に楽しんでいました。チェロソナタとヴァイオリンソナタを書き上げたブラームスは次にピアノ三重奏曲第3番 作品101を完成させました。この曲が1886年にトゥーンで書き上げられた器楽曲の最後となります。メランコリーで塞ぎ込み気質だったブラームスは人とのコミュニケーションもあまり上手ではなく、そんな日々の憂いを晴らし、好きなことをしながら作曲に没頭するためにこのトゥーンへ来たのです。過去には温泉街などに滞在することも多かった彼は、この地を特に気に入りました。そして今回の公演で演奏するような傑作を次々と生み出していくのでした。


しかし翌1887年、仲のよかった友人の訃報をトゥーンで受け取ります。友人の死により、アルプスの大自然の中で余計に孤独を感じることになったブラームスはさらに塞ぎ込みます。この出来事は後の人生に影を落としていくことになります。


上に挙げた3曲は同じ場所で同じときに書かれているものの、曲の性格や込められた想いが全く違います。彼が目の当たりにし、数年を過ごしたアルプスの大自然の中で書かれた曲から、その清々しい気持ち、素晴らしい景色を大切な人と共有したい気持ち、そして雄大な山々と自分を比較したときの内省的な気持ちが味わえる、楽しくも非常に深い作品です。


(参考文献: ブラームス回想録集3「ブラームスと私」天崎浩二編・訳、関根裕子共訳、音楽之友社刊)



©️2018 Shun Oi

© 2018 by Shun Oi

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